2014年12月2日火曜日

Thanksgiving からの、最終面談。。。

サンクスギビングはウォートンの友人の誘いで、20人超の台湾人MBA生たちとカンクンに行ってきた。皆の出身校はバラバラ。こんなことを言っては身も蓋もないかもしれないが、ウォートンのよく知らない人達との旅行に参加するよりは、多分ずっと楽しかった。
毎日飲みまくり踊りまくり食べまくりしゃべくりまくりの数日でした。

そんなカンクン旅行から一転、今日は七年越しの目標だったある会社の最終面談だった。ケースディスカッション、財務モデリング、個人面談、パネル面談を含む1日がかりのスケジュール。準備は(前日に)ぬかりなく行ったつもりだし、途中までは実際にうまく行っていたと思う。しかし最後の、肝心のパネルの手応えがイマイチだった。良い結果が聞けない予感がすごくする。ウォートンにきた理由の一つがこの会社で仕事を得ることだったから、今なんとも言えないブルーな気持ちである。やれることはやったつもりだから後悔の念はない。ただ今は他のことはどうでもいい。そんなしょぼい気分。

まあもし今回ダメだったとしても、次の日には立ち直って他の夢を探し始めるだろう。目標のない生活よりも、目標のある生活の方がずっと楽しい。

そして目下のところ、日本にいる家族に二週間後に会うことが最大の楽しみである!


2014年10月24日金曜日

束の間の独り身生活

今週は忙しかった。

例のPower Labの授業で先週末は丸々潰れた後に、怒涛のグループミーティング、グループアサインメイントの提出、中間テスト、Japan PUBという文化系イベントの主催等、やること多かった。おかげで、最近のグループワークあまり貢献できず、心苦しい日々が続いた。二年生になったら暇になるよと去年の二年生からは聞いていたが、あれはなんだったんだろうか。
この週末からは少し落ち着くので、やることを整理して、きちんとチームへの貢献もし、自信を持って学校にいけるように体勢を整えよう。

さて、話題は変わって、実は今日から束の間の独り身の生活が始まった。妻と娘が諸用のため日本に一時帰国したからである。
広い家が突然静かになり、ひとりのさみしさが早速こみ上げてくる。今までは自分ばかり、妻を置いていろいろ飛び回ることが多かったが、逆の立場になって初めて妻の気持ちがわかったような気がする。

また、妻は自分が旅に出ることになっても文句も言わずひたすら後押ししてくれていたが、その時の妻の気持ちについても、勝手ながら少しわかったような気がする。つまり、"この孤独に意味があるとしたら、それは彼女が一時帰国先の日本で充実した時間を過ごすために必要な(自分の)孤独なのだ"という感覚だ。だからこそ、妻の日本滞在が充実したもので会ってほしいと願う。これまで海外で生活したことのなった妻にとって、今回は1年4か月振りの帰国だから、久しぶりのおいしい日本食や、友人・家族との再会を楽しんでもらいたいのだ。

ちなみに孤独というのは悪いことばかりでもない。
今週のクレイジーな忙しさから解放され、今こうやって居心地の良い椅子の上で一人ペリエを飲みながら(普段は酒を飲まないので)クラシックを聴いていると、とてもリラックスしてクリエイティブな気持ちになる。
9年前に、アメリカに交換留学して、初めてひとり暮らしをしたころのことも思い出す。あの時もよくこうやって一人で深夜に音楽を聴きながら、ブログを書いていたものだ。

これから12月の半ばまでの間一人暮らしが続くが、この変化をポジティブに捉え、9年前の必死でピュアだった自分を思い出しながら、精一杯残りの学期を充実したものにしていきたいと思う。

2014年10月19日日曜日

GROUP DYNAMICS AND ORGANIZATIONAL POLITICS (通称"Power Lab")のModule 1 が終了 

以前授業紹介の投稿でも少し触れたのだが、今学期はペン大のSchool of Social Policy & Practiceが提供する下記のクラスを受講中だ。

GROUP DYNAMICS AND ORGANIZATIONAL POLITICS (通称"Power Lab")

週末にかけ、グループでの実験的な取り組みを通じて組織内の力学を学ぼうとする授業だ。
Whartonの先輩方が過去にブログなどで言及されていたこともあり、入学前から非常に気になっていた授業の一つだ。(ちなみに担当教授のKenwyn Smith教授は今学期を持って引退される方向らしい。残念なニュースである。)

※参考:先輩方のブログ
SHOCKYOU@世界
No Day But Today


今日はその一回目(Module1)が終了。自分でもこの三日間に起こったことをまだ消化しきれていないので、ここで学んだことはModule2が終わった後にじっくりふりかえることにしたい。

ちなみに、長時間(なんと27時間!!)の英語のグループエクササイズは、ノンネイティブである自分にとってはとても骨のおれる作業である。正直、これまでの自分であれば、自分の意見を公の場で発言することに対する不慣れや語学の壁から、相当に苦労していただろう。
しかし振り返ると、今回は以前に比べて驚くほどストレスを感じることが少なかった。過去にこういった場で苦い思いをし続けた自分としては、授業のコンセプトとは直接関係の無い事とはいえ、成長を感じられるのは嬉しいものだなあ、と素直に思う。


・・・さて、今週も怒涛の日々だ。
テスト勉強とグループワークの課題が今週もオレを苦しめるだろう・・・。



2014年9月27日土曜日

Wharton Leadership Ventures - Quantico Military Simulation (*Whartonに来たら、オススメです!)

先週の話になるが、木曜の夜から金曜の夜にかけて、ワシントンDCの南部に位置するQuanticoというMarine Corps(アメリカ海兵隊)の基地で軍事訓練を受けてきた。

軍事訓練とは言っても、なにも人殺しの練習に行ったわけでは勿論無く、Wharton Leadership Venturesというリーダーシップを養成するMBAのプログラムに参加するために行ってきたのだ。

(Wharton Leadership Venturesには、今回のような短期集中プログラムの他、南極の探検や船での航海等長期プログラムも用意されている。詳しくはこちら

Quanticoはアメリカ海兵隊において、大学通学中若しくは大学卒の一般人からオフィサー(将官)候補をスクリーニングするための基地である。ここで行われている訓練は肉体的・精神的にとても厳しいものだが、リーダーシップを発掘し、かつ養成するために良く練られてているものだと感じた。

今回はその厳しい訓練の、ほんのさわりを体験してきた。

<一日目>
夜にバスで到着するや否や、すぐさま軍曹に整列を命じられ、宿舎まで小走りで向かう。
道中列を乱すことは許されず、軍曹からの声掛けには「アイアイサー!」と元気に答えなければいけない。まるで映画のワンシーン。。。
宿舎に到着後も、軍曹からは、整列が乱れているだの、体の一部を許可なく動かすなだの、ベッドメイキングが汚いだの、とにかく理不尽な罵倒が延々と続き、ようやく睡眠を許可されたのは夜中の2時半。しかも睡眠中も2人一組で交代で見回りをしなくてはならず、5時の起床までほとんどまともに寝られた者は居なかったと思う。

<二日目>
この日は本格的に、肉体を駆使する訓練の体験を行った。
前半は、4人一組でProblem Setと呼ばれる、戦争中の模した状況下での作戦行動の練習を行った。例えば、橋が爆破された川で、いかに傷病者を向こう岸まで運ぶか、等。
毎回持ち回りでリーダーを決め、リーダーが作戦の指示だし等を行うのだが、頭と勇気と行動力を同時に使わなければ解けない問題ばかりで、これがなかなか面白かった。

後半は、子供の頃に遊んだアスレチックスの巨大版のような施設で、ロープ上での匍匐前進の方法等を身に着けた後、実際に森の中を実戦さながらに走り回ったり、泥水を顔から被りながら匍匐前進したりした。

一日目に比べると、二日目の方が肉体的な負荷が大きいものの、普段ジムに通っているせいか、そこまで苦には思わなかった。個人的には大声で鬼軍曹に叫ばれ続けるのは精神的に疲れるので、二日目は寝不足ながらも断然気は楽に感じた。(とはいえ、怒鳴られながら作業するのは日本の部活動などの経験で慣れているので(苦笑)、他の同級ほどのストレスは感じなかったかもしれない...)

あっという間の二日だったが、通常は見ることもできない場所で、非常に興味深く、示唆に富み、貴重な体験ができたと思う。
最後に走り書きだが、帰り道、バスの中で感じたことをつれづれなるままに書き記しておく。

+++

・あえてchaoticでstressfulな状況を作り出し、marine officerとしての資質を見極めている。怒鳴り散らすにも科学的な意味があると分かり、面白かった。

・Commanding Officerなど、トップの言葉は常にロジカルだった。
愛国主義や軍事主義的な話は一切出てこず、理性が支配している世界だなという印象を持った。

・Leadershipとはボスになることではなく、「selflessnessや人をinspireすることだ」と強調しているのが印象的だった。

・同様に印象的だったのが、moralやethicsを強調していたこと。『誰も見ていないところでもモラル的に正しい行動が取れるか』をリーダー候補者のスクリーニングの要件にしているとのことだ。

・軍隊というとどうしてもネガティブな印象を持ちがち。(パレスチナに対するイスラエル軍の破壊や、沖縄における米国軍人による婦女暴行のイメージなど)
しかし少なくともMarineのOfficerたちは技術、人間性、体力全てに優れたプロフェッショナルで、彼らの行動は基本的には禁欲的であり、その一部を垣間見た今となっては尊敬の念を禁じえない。

・民主国家において軍隊をどう使うかは政治家と国民の選択だ。現場のプロフェッショナルを感情に任せて非難するのは簡単だが間違っている行動であり、軍事行動の決断権は間接的ではあるが主権者たる国民に委ねられているのだということを胸に刻んでおきたいと思った。

2014年9月13日土曜日

2014 Fall の履修授業 (1)

授業が本格的にスタートし、はや2週間が経った。
Elective(選択授業)ばかりを取れる二年生の授業は、予期していた通り、とても楽しい!

今期は、ファイナンス(3) + マネジメント(1) + Field Application Project(1)  + Non-Wharton Class(1)という計6単位を履修している。
(いろいろと考えた結果、ファイナンスをMajor(専攻)にすることにしたので、今期はファイナンスの授業が多い)

6単位と言うと、1学期にとる単位としては相当に多いのだが、通期で講義を受け続ける授業は最初の4つのみで、 残りの二つはまだ開始していない。そのため今のところ授業の負荷は心地よい程度だ。

去年の今頃は興味が湧かず、且つ事前の知識の無い授業に、追われ苦しんでいたイメージだが、今学期は興味のあるテーマについて、自分から追いかけ、且つしっかりと消化できている実感がある。
しかも取っている授業はどれも人気授業と言えるもので、教授の質は素晴らしく、生徒のモチベーションも高いので、きちんとモノにできれば着実に成長できそうだなとワクワクしている。

現在既に開始されている4つの授業については、その内容を簡単に紹介しておきたい。

1 International Corporate Finance
為替を財務・会計上どう扱うべきかを学ぶ授業。
為替についてはこれまで苦手意識があったのだが、今後途上国投資に従事するのであれば避けては通れない領域だと感じ、履修を決定。(これに改めて気が付けたのはDCでの夏のインターンのおかげ。)

元来数学の苦手なオレとしては、正直言って面倒な内容だが、辛いがゆえに自分からすすんで勉強することの無い分野なので、「良薬口に苦し」という感じで有難く受講中だ。
教授は非常に熱量のある人で、授業はなかなかに面白い。グループワークも多く、コミットの求められるクラスだ。

2 Real Estate Investments
不動産投資について体系的に学ぶ導入的な授業。
Corporate PE投資に従事していた時代は、よりシンプルで機械的に見える不動産PE投資を正直少し蔑んで見ていたこともあったのだが、勘違いはなはだしかった。
実際に勉強してみるとオペレーションへの想像力が求められることもあり、非常に面白い。
将来個人的に不動産投資をやる可能性も無くは無いので、勉強しておいて損の無い授業だと思う。
なお、この授業の教授の熱量もかなり高く、授業は楽しい。そして複数のケーススタディについて、グループワークもあり、楽しみである。

3 Finance of Buyout and Acquisition
主にPEのバイアウト案件をどうストラクチャーするかについて勉強する授業。
自分にとっては何ら新鮮味のテーマであるのになぜ取ったか?
Majorの規定単位数を満たすため、抽選に漏れた別の授業の代わりに履修を決定。
当初の期待値の低さに対し、内容はとても素晴らしい物だった。
教授が相当に優秀な人で一言一言に重みがあり、これまで知らなかった切り口がとても勉強になる。
さらに現役のPE投資家と言うことで、「高尚だが実務で役立たずな理論」よりも実践的な知識・スキルの習得に重点が置かれていて、理論に傾斜しがちな通常のファイナンスの授業よりも痛快な内容だ。

なお、この授業は、ファイナンスの授業にしてはかなり珍しく、ケースディスカッションの評点がとても高い。Qualitativeな内容にフォーカスしたディスカッションが白熱しそうで、かなり楽しみである。


4 Strategy and Competitive Advantage 
ウォートンで何年も超人気教授で居続けている、Siggelkow教授の戦略論。 実は今期一番取りたかった授業。(取れてラッキー!)
基本毎回ケースディスカッションをするのだが、その中で、一年目に学んだミクロ経済やマーケティングの要素がちりばめられ、まさにMBAで学んだ「点と点が線となって繋がる」感覚を得られる知的に刺激的な授業だ。

準備をせずに臨むとコールドコールで爆死するリスクもあり、毎授業が真剣勝負。その上、教授のディスカッションの進め方のうまさと、示唆の深さがあいまり、学びが非常に多い。

Quantitativeな授業は、講義+Problem Set という、コアのクラスではお決まりの授業形態がどうしても必要になってしまうのかと思うが、戦略論のようなQualitativeな内容を学ぶにはこのようなケースを読んで大人数でディスカッションをする形態が一番学びが多いと思う。

2014年9月1日月曜日

8月の コンサルインターン in Asia で得たもの

8月は日本のコンサルティングファームにて、2週間ベトナム、2週間東京でのインターンシップを行った。
終わってみると、過去1年間のMBA生活の中で一番のハイライトだったのではと思うくらい、充実感があり、楽しく学びの多い一か月間だった。

何がそこまで良かったのか。

・ 素晴らしいホテルを滞在先として与えられたベトナムでの生活が快適だった。
・ ベトナムに行くのが今回初めてだったということもあり、また一人で来ていたのでフットワークが軽く、エキサイティングだった。
・ 一緒に働いたベトナム人のローカルスタッフも、東京の社員の方々も、とてもスマートでやる気があり、良い刺激になった。
・ 特にベトナムの現法の社長(日本人)等、尊敬できる人たちに会えて、自分が目指すべき方向性のヒントをもらえた。
・ 誰かの指示の下ではなく、自分たちで考え且つ働ける環境に身を置き、主体的に動く楽しさを(改めて)知った。
・久々に日本語だけでグループワークを行い、MBAで感じたフラストレーションも無く、効率的かつ効果的な議論ができた

とまあ、いろいろと要因はあると思うのだが、一言でいうと「自分の能力の再発見」が出来たことかなあと思う。

正直、インターンに行く前はコンサル業界でどれだけ通用するのか若干不安であった。
というのも、オレは学生時代に代表的なコンサルを4社ほど受けたのだが、半分は面接にすら進むこともできず、惨敗した経験があったからだ。
ところが、その心配は完全に杞憂だった。
インターンでは自分でも驚くほどの高い評価を会社から受け、去年も含め他のインターン生10数名が得ることができなかったフルタイムの内定も唯一自分だけがもらえることが出来た。(現時点では)


ここで重要なのは、なぜここまで高い評価をもらえたのかということだ。

まず、オレ自身がもともと大きく考えることが得意で、今回のインターンのお題とぴったり合ったということがある。
またそれに関連して、コンサル業界特有の「仮説思考」もうまくやれた。
今まであまり意識的に行ってなかったのだが、右脳で大きな論点やそれを解決するための方策を「感じ」、それを左脳を使いながらロジックに落とし込み、更に関連する問題について右脳を使って考える・・・、という作業は、やってみると意外に難しくなく、また素早く仕事をする上で絶大な効果を発揮した。これを初日の研修で教えてもらい、すぐに実践することが出来たのは良かった。
(昔からこういう仕事の仕方をしておけば、前の職場でももっと評価されたのにと何度も思った・・・。)

ただ一番大きいのは、やはりこれまでの仕事の経験があったことだろう。
今まで投資銀行やPEファンドで、一流の先輩・同僚・顧客と働く機会を得て、経済やビジネスやエクセルのことなんて何も知らなかった自分でも、少しずつ彼らの知恵や技を盗んで、それがそれなりに積み重なっていたことを、異業種に来て初めて知ることができた。
特にMBAに来る直前の1-2年は、会社のパフォーマンスが悪く、成長が実感しづらかったことで、自分自身の能力に自信を失いつつあったので、今回コンサルという少し畑の違う場所で高い評価を得られたのは大きな自信になった。

さらに思うのは、これまでの仕事ではいつも自分が下っ端で、かつ経験も少ない立場にいたので、優秀な先輩を前に萎縮していた自分がいた。そのせいで、本来持っている能力が半分くらいしか発揮できなかった。
今回のインターンでは、いい意味で周りの人がどう思うかはあまり気にせず、自分が正しいと思う仕事のやり方を貫き通したのが逆に良かった。プレゼン一つとっても、誰かに言われたことだけをやるのではなく、自分の頭で考え抜き自ら動くことで、短期間にしては質の高い資料を作ることも できた。


纏めると、自分がコンサルインターンで成功した理由は、1 大きく考える癖がコンサル(or インターン先の会社)の求めるものに合っていたこと、2 これまでの仕事で得た経験やスキルが実はとても高次元だったこと、3 とはいえこれまでは人の下で働き萎縮していた自分の能力が、自由にやらせてもらえる環境下でうまく発揮できたこと、といったところか。

一か月も家を留守にしてしまったので、内定という土産を妻と娘に持って帰れたのは良かったが、何より自分が得られて良かったのは、この自信だろう。
正直、MBAに来てから失うことの方が多かった自分への自信。

この夏で手に入れたこの自信は、これから始まる二年目のMBAライフをプロアクティブに楽しく過ごす上で、一番必要なものだったんじゃないかと思わなくもない。

こどもの誕生

2014年7月11日、わがやに第一子が誕生した。

出産の日の状況を簡単に振り返ると、以下のようなものであった。

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DCでのインターンの最終日まで残り2営業日だった10日の午後11時ごろ、緊急の呼び出しを受けた。
予定日が20日だったので、予想外の急な展開に驚きつつ、急いで支度をして、終電の地下鉄に飛び乗った。
始発が3時だったので、それまで冷房の効きすぎているアムトラックステーションで仮眠を取った。
フィラデルフィアに着いたのは朝5時である。

その後、娘が生まれるまでに妻と過ごした12時間はとても印象的な時間だった。
諸事情により、人工的に陣痛を促し、予定日よりも早く出産することを医師が決めたため、フィラデルフィアの病院に到着してからの数時間は、寝不足とはいえ妻もいつも通りの状態で、これから本当にお産が始まるのか疑問に思うくらいの不思議な気分だった。
それでも、もちろん胸のどこかでしっかりと親になる覚悟はできていて、妻と二人で妙な緊張と興奮を共有していた。

あの時間が、これから生まれる娘にとっては真っ暗なおなかの中と光に満ちたこの世界との境目であり、新米パパママとなるオレたちにとっては、新しく家族を迎えこれまでとは違う人生のステージに行く 、その境目だったのかと思うと、本当に人生を変える瞬間だったのだなあつくづく思う。

その後、本格的な陣痛が恐らく2時か3時ごろに訪れ、夕方5時半ごろに妻が娘を出産。
待望の我が子にようやく会えた喜びもさることながら、妊娠発覚からはや8ヶ月、夫婦でおなかの子を守り抜き、最後まで健康に産めたことに、二人で大きな達成感を感じた。その後少し冷静になって、改めてみる我が子の姿はとても可愛く、愛しい気持ちが全身からこみ上げた。

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出産直後は、慣れない子育てに文字通り奮闘し、夫婦ともに寝不足に陥りながらなんとか諸問題をクリアしていくという大変な数日間だったが、同時にとても楽しい日々でもあった。

妻が本当に、本当によく頑張ってくれ、比較的小さく生まれた娘もみるみるうちに、健康に、大きく、育っていってくれた。
オレはオレで、本来学生でなかったらなかなかこんな風には体験できないであろう育児というものを体験できたのは良かった。
自分なりに精いっぱい、お産明けの妻と、生まれたばかりの娘のお世話をすることができたのは、今後の父としての新たな人生を歩む上で必要な自信を得ることにつながった。

出産から二週間という、家族三人のとても密な「育休」タイムを終え、オレは次の目的地、ベトナム・日本へと旅立つことになるのだが、その間まだまだ慣れないアメリカの地で、新生児である娘と家をしっかりと守ってくれた妻には本当に頭が上がらない。


愛する妻と娘に囲まれる幸せな日々がここに始まった。

2014年7月28日月曜日

遅ればせながら、MBAの夏休みの使い方について

二年制のMBAであればどこも同じだと思うが、一年と二年の間に3か月超の夏休みがある。
この夏休みを利用して、多くのMBA生は10-12週間のインターンを行う。
特にキャリアチェンジをしたい人や、卒業後に起業をしたい人にとって、サマーインターンはこれまで経験したことの無い業界・職種・地域で経験を積んだり、あるいは相性を確認するための格好の機会だ。


自分はというと、下記のような問題意識や考えを持ってこの夏を設計しようと思った。

・ 卒業後に志望する、途上国金融の経験を積み、その業界での人脈を構築したい
・ 途上国での生活を体験したい(実際には以前体験済みなので、「思い出し」たい)
・ (上記と矛盾するが)後述する理由で7月中はアメリカ東海岸に居たい
・ MBA前からどれだけ成長したか(もしくはしていないか)が分かりやすい、日本語環境でも少し働いてみたい
・ あまり興味が無いとはいえ、折角のインターンの機会なので、金融業とは別の業界も少しは体験してみたい

その結果、下記のような夏に仕上がった。
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(5月上旬) 学校のプログラムを利用し、エジプトで起業家支援

(5月中旬-7月中旬) ワシントンDCにて、フロンティアマーケット向けの巨大プライベートエクイティファンドで8週間インターン

(7月中旬-7月下旬) フィラデルフィアにて休暇(現在)

(8月前半) ベトナムにて2週間のVC/コンサルティングファームでのインターン(予定)

(8月後半) 東京にて2週間のコンサルティングファームでのインターン/グループワーク(予定)
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もちろん「滅多に無い機会だからアフリカとか、ガチの途上国で泥んこになりながらどっぷり生活する」とか「サンフラのスタートアップで起業家精神を身に着ける」とか、そういう過ごし方もあったろうが、どうしようも無い制約(後述)もある中で、我ながらベストの作り込みができたという感がある。
正直、その重要性と比べて、インターンの就活にはそこまで時間をかけることをしなかったのだが、「運」と「一点突破」でうまく希望する機会を勝ち取ることができたのだった。

さあ、フィラデルフィアでの夏休みももうあと少しで終わり。
数日後にはいよいよベトナム ホーチミンに上陸である。
久々の途上国。初めてのVC/コンサル業界。実に楽しみだ。



2014年7月1日火曜日

書評: 『援助じゃアフリカは発展しない』

ARUNという日本のソーシャルインベストメント団体のホームページに書評を寄稿した。
(ARUNの活動には2012年から参画している)

最近(いつもか・・・)ブログの投稿が少ないので、ネタ稼ぎのためにこのブログにも載せておこう。


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本書は劇薬である。
「援助は腐敗を助長させ、人々を貧困に陥れる。アフリカが貧しいのはまさに援助のせいだ」と言い切る著者は、ザンビア出身、ハーバードで修士号、オックスフォードで博士号をとり、世銀に2年、ゴールドマン・サックスで8年勤めた経験を持つ、女性エコノミスト。
(中略)筆者の説を肯定するかどうかはともかく、手っ取り早く欧米での援助の論争の内容を知りたいむきにはお勧めできる知的読み物。

援助じゃアフリカは発展しない」ダンビサ・モヨ著(東洋経済新報社)

 

いきなりAmazonによる内容紹介の引用から始めてしまいましたが、私自身は本書をここで言われているような「劇薬」だとは思いませんでした。例えば、経済開放以後、投資が経済を牽引し、その結果何億人もの人々が絶対的貧困層から抜け出した中国の例を考えると、援助より投資の重要性を訴える著者の 意見は、非常にまっとうなものとして感じられるのです。

著者の意見は、ARUNが成功させようとしている社会的投資の考え方とも調和するものだと思います。ARUNでは、途上国で社会的インパクトの大き な事業を起こそうとする起業家に対し、「寄付」ではなく「投資」を通じて彼らのビジネスの発展を支援し、ひいてはその国の社会問題の解決に貢献しようと活 動しています。こうした社会的投資が素晴らしいのは、投資したお金が返ってくることにより再投資が可能になるという循環もさることながら、お金を返さなく てはいけないという緊張感が、現地起業家の責任感と意欲を刺激し、現地の人の成長に繋がるからだと私は考えています。

これに対し、返済を必要としない無償援助や、超長期で超低利子の融資(世銀の融資やJICAのODA等)は途上国の成長にとって有害な結果をもたらすと本書の著者は考えており、以下のように強く批判しています。
援助があると、腐敗が腐敗を助長し、国家は簡単に援助の悪循環に陥る。外国援助は腐敗政府にてこ入れする

つまり、彼らに自由に使える現金を支給するのだ。これら腐敗した政府は、法体制、透明性のある市民組織の設立、市民的自由 の保護を妨げ、内外からの投資を魅力の無いものにしてしまう。不透明で投資が少ないので経済成長は低下し、このことは雇用機会を減少させて貧困をますます 拡大する。貧困の増大に応じて、ドナーたちはさらなる援助を与えるが、このことがますます貧困を増大させる。
途上国であるというだけで先進国からタダでお金がもらえるとしたら、国内の税収や海外投資家からの直接投資を増やそうとする意欲は著しく落ちるばかりか、援助という利権で儲けようとする権力者が出現するのは当然の事でしょう。

では援助に代わるアフリカの資金調達方法として、どのようなものがあるでしょうか。著者は以下の4つの代替案を提示しています。

1. 国際的な債券市場へアクセスすること
2. 中国によるインフラ投資を積極的に受け入れること
3. 世界の農産物の貿易を自由化し、アフリカが一次産品の輸出から得る利益を増やすこと
4. 金融仲介活動を促進し、貧しい人でも借り入れができるようにしたり、国外の移民からの送金受け入れを増やすこと

著者は4.の例として、マイクロファイナンスを挙げています。
マイクロファイナンスは、貸倒率が低く、貸出金利も大企業向け融資に比べれば格段に高いため、十分に儲かるビジネスであり、実際に世界中で拡大しています。それ自体は素晴らしいことなのですが、マイクロファイナンスが対象とするよ うな個人商店ではイノベーションや大規模な雇用が生まれづらいのが課題かと思います。

一方で、日本にあるような大企業が少ない途上国では、中小企業(英語ではSMEと言います)こそが経済成長のエンジンであり、雇用の担い手であると いうふうに思われます。
しかしながら、途上国の現地銀行は資本不足等の理由から一部の安全な借り手(大企業等)にばかり貸付をし、裏付けとなる資産の無い 中小企業には、例え経営者が優秀だったとしても、貸し渋る例が多いようです。つまり、途上国の中小企業は、マイクロファイナンスの対象である個人と、銀行の対象である大企業との間に挟まれて、非常に苦しい資金調達環境にいるのです。

こうした中小企業のニーズにこたえるのがARUNの役割だと私は考えています。

本書では社会的投資やSMEファイナンスに割かれたページは決して多くありません。ですが、マイクロファイナンスに加え、ARUNが実践する社会的 投資/中小企業向け金融が途上国開発の現場において見過ごせない力を持っていると考えるに足るだけの内容があった、そう私は読みました。

2014年6月24日火曜日

日本のW杯敗退が決定

ワールドカップで日本の敗退が決定してしまった。
夕方6時ごろに試合が終わってからというもの脱力感にさいなまれ、何もやる気が起きない。
四年後にまた期待するしかないのだが、好きだった選手たち(本田、長友など)がもしかしたら四年後には見られないかもしれないと思うと、それもさみしい。

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残念な結果に終わってしまったものの、楽しみにしていたワールドカップでの日本戦を今年は全試合生中継で見られたのは、非常に幸運だった。
平日の日中の試合もあったのにこれが可能だったのは、今の職場でインターンをしていたからに他ならない。

現在のインターン先はアメリカにありながらも、世界の縮図のような場所でもあるので、ワールドカップは当然みんなの興味の中心。マネジメントもその点を理解していて、勤務時間にも関わらずカフェテリアや会議室のテレビでは全試合放映してくれるという太っ腹(?)っぷり。社内向けのストリーミングサイトのURLが社内メールで共有されるほどだったのだ!(そんなん見てないで仕事しろよ、という声が聞こえてきそうですが)


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それにしても、投資銀行で朝5時までノンストップで働いていた時代と比べると、今のインターンの労働環境はまさに天と地の差だ。
ここはワークライフバランスが完璧に保証されている環境で、どんな家庭環境にいても気持ちよく働くことが出来、こうした労働条件はダイバーシティの確保に一役買っているなあと思う。
みんな長く働くことに価値を置いていないので、日本で自分が見てきたような、お互いがお互いを監視しあって無理/無駄に遅くまで働くような雰囲気は無く、 結果さえ出せば良しとされる。

大変魅力的に見えるが、この環境の問題点は、仕事の進み方が遅くなりがちだということだろう。
投資銀行のアナリスト(下っ端)時代に、「これ明日の朝までに宜しく」と頼まれていたような質・量の仕事が、ここでは平気で「来週までにお願いね」くらいのタイムフレームに変わっている。
(もちろん投資銀行のようなピュアな客商売じゃないので、負荷が少ないのは当たり前だが。この点は通常のPEとも似ているね)
 個人的には、途上国のダイナミズムを肌で感じることができるこの仕事はやはりとても魅力的だし、そもそも英語で国籍・文化が違う人と働くのは「純日本人」の自分にはそれだけでチャレンジングなので、自分なりのやりがいを見つけられるだろうなと思う。


ただし、居心地の良い環境に浸るのは、逆に居心地が悪いとさえ思う。
お客さんやチームにとって代えのきかない人材にまで自分を成長させないと、意味が無い。
そんなふうに、自分に対して常に厳しくありたいと思う今日このごろ。

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日本のサッカー界も、4年前の南ア大会でベスト16まで行ってしまったことで、自分たちが強いと勘違いしてしまったのではないだろうか。
仕事で成果を出すために、謙虚さと成長への意欲を持ち続けなくてはいけないのは、スポーツもビジネスも一緒、といったところだろう。

2014年6月8日日曜日

世銀YPPに向けて

かねて”憧れ”の職場として捉えていた世銀のYPP(Young Professional Program – 32歳以下の博士号取得者か、一定の勤務経験のある修士号取得者のみが受験できる世界銀行の幹部候補生プログラム)の応募が今月末に迫っている。
(自分がなぜ開発を志していたかはとりあえずここでは置いておいておこう。)

これまで”生き馬の目を抜く”金融業界で働いてみて、またビリオンダラーを扱うファンドマネジャーやIPOを狙って起業家を目指すエリートの集まるMBAに来てみて、そして実際にワシントンDCに来て世銀関係者との会話を通じて、最近は本当に世銀で働くことが自分にとってよいことなのか、良くわからなくなってきている。
それが今の正直な気持ち。

ところで、YPPの応募自体は1000文字のエッセイとレジュメの提出だけで済む簡単なものなのだが、このエッセイが、書き始める前に思っていたよりも、自分にとってはなかなか骨の折れるものだということがわかった。
エッセイのテーマは、「貧困削減と格差解消のために世銀は何ができるか」「その世銀の役割のためにあなたはどう貢献できるのか」というものなのだが、よくよく考えると、なんとオレは世銀が具体的に何をしているのかよく知らない(笑)
今まで、自分のキャリアにより適合した現在のインターン先のことばかりをリサーチしてきたので、世銀の勉強はおろそかになっていたのだった。
 
一筋縄ではいかないことに若干の焦りを感じつつも、一方でこのエッセイは、「世界の貧困削減と格差是正」という個人的に非常にパッションとミッションを感じるテーマについて、世銀という開発の王道を行く組織が、何が出来て何ができないのか、をより整理して考える良い機会だと思っている。

自分で考えた結論として、世銀に自分の居場所を見つけられれば幸いだし、一方でもっと違う分野、例えばプライベートエクイティ、商業銀行・投資銀行、商社など、により多くの付加価値を見いだせれば、それはそれで収穫があったと言えるだろう。

YPPは世界中から5000を超える応募者が集まり、30人程度しか合格しないと言われる難関中の難関。日本人は例年1人程度しか合格しないと聞いているので、望みはとても薄いだろう。そしてそもそも世銀が本当に最適なのかはまだわからない。
それでも、受験しないと受かりもしないし、折角受験資格もあるのだから、まずは受験してみることにしよう。

そして受験するからには、本気の勝負をしてみせよう。

DCにある世銀本部のビル

2014年5月21日水曜日

ワシントンDCでのインターンがスタート

民間セクター向け開発金融機関において、世界の頂点に立つ某組織でのインターンがスタートした。
聞いていた通り、スローな組織との印象だ。なんせ パソコンのセットアップに二日以上を要したくらいだから。。。

・・・理想と現実のギャップは常にあるもの。
課題は認識し取り組む必要はあるが、この組織の持つポテンシャルや存在意義の方に目を向けたい。

大学卒業直前にこの組織の事を知り、憧れを抱いてから早7年。
7年越しに一つの目標を達成した。もちろん本採用ではないので浮かれてもしょうがないのだが、ここまで来れたことは素直に評価したいと思う。

ここに来るまで、決して平たんな道ではなかったし、自分が特別優れているとも全く思わないが、人間強く願えば叶うものだなあとしみじみ思う。

夢を描くことの大切さと、この場にいられることの特別さを噛み締め、日々無駄にせず8週間を過ごしていきたいと思う。

2014年5月17日土曜日

エジプトを離れ、DCへ

今年二度目の中東訪問となったエジプト滞在は、一週間と短い期間ながら地元起業家とのディスカッションを通じてエジプトが抱える社会問題や経済状況についてそれなりに知識を得ることができて楽しかったし、かつ食事や文化に慣れていたこともあって、非常に居心地の良い滞在だった。

カイロ市内の有名なバザールを訪れた際には、外国人観光客を一人も見ることがなく、エジプトが今も異常事態にあることを痛感した。エジプトには地中海及び紅海リゾートやルクソール等に眠る古代遺跡等見どころがたくさんあるので、是非地元経済に貢献すべく観光したかったところなのだが、帰国後のワシントンDCでのインターンという「本命」に備えて、むしろ予定よりも一日早くアメリカに帰国することにする。

(エジプト到着直後に訪れた、ギザのピラミッド)

(中東ではおなじみの食事たち...umai!)

食事2

革命の際に焼打ちに遭ったと思われるビル

バザール近くの道路の喧騒

バザール近くの立派なモスク

二度通うことになった洒落たレストラン

ナイル川ほとりに立つ高層ビル



2014年5月13日火曜日

エジプトで感じた矛盾

春学期は授業のコマ数を少なくしていたのと、やはりMBAの授業に慣れ始めたということもあり、秋学期の苦しみが嘘のようにすんなりと期末試験のスケジュールをこなすことができた。(出てきた成績も「フツー」だったが、勉強した分だけ結果が出たという感じで、そういう感覚になれたのも成長のうちと言えるかも?) 

そして今、Independent Study Project、通称ISPという授業の一環でエジプトに来ている。
このISPのテーマは、エジプトの社会起業家支援だ。
エジプトに来て感じたことを、フェイスブックに一度書いたのだが、今回はそれを転載したい。

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昨晩カイロでエジプト人のMBA同級生のジモティー(死語)たちとバーで飲む機会があった。彼らはとてもフレンドリーな人たちで、わずかな時間しか一緒にいられなかったけど、彼らがナイスガイ•ガールだと言うのはすぐにわかった!

ただ彼らから聞いた話が気になって少しモヤモヤしている。

『カイロ首都圏は人口2000万人の大都市だけど、僕らのコミュニティはとっても小さいんだよ。』『夏には地中海のビーチリゾートに行くのが決まりなんだけど、そこに行くといつも顔なじみが集まっていてとても楽しいの。連絡を取り合わなくても自然とみんながそこに集まるの。』『友達の友達は友達だから、誰の結婚式に行っても沢山の知り合いに会えて楽しいんだ』『大切なビジネスには必ず友達が関係してるから、ここでは仕事がとてもやりやすい。この小さいコミュニティはカイロの大きな魅力よね。』

英語が流暢な彼らは、エジプトではトップ5%の上流階級とのこと(彼ら曰く)。
こっちのオフィスで少し働いてみて、エジプトの人は皆英語が上手くてすごいなぁと思っていたけど、彼らは本当にごくごく限られた階層の人々なのだ。おまけに、彼らは同じ仲間内でしか出会わないし、つるまないし、結婚しないので(サンプル数が少ないのでバイアスがひどいが…)、階層が固定化されているのだろうと思った。

自分は卒業後、途上国のプライベート・エクイティ業界で働くのも悪くないなと思っていたけど、もしその世界に入ったらビジネスのためにこういう特権階級との関係構築に腐心することになるんだろうな。
彼らには何も悪いところは無いし、そもそもここでは特権階級でも、先進国ではミドルクラスの部類だろうし、自分自身の生活水準と似ているので話も合うし、いっしょにいて楽しかったんだけど、途上国PE=金持ちをますます金持ちにして残りを置き去りにするような仕事に思えてしまい、なんとも言えないモヤモヤを感じてしまった。

世界のエリートが集まるビジネススクールを夢見て、自分で選んで、こういう世界に飛び込んでみたのに、こんなこと言っちゃってるのもナイーブな話ではある。

一方で、そもそも産業が存在しない市場や、存在はしても未熟な市場で、産業を作り強くするような仕事には、地元に雇用を生み地元の人の所得を増やし税収を拡大し、更には福祉を強化し教育を促進するという幅広い開発効果があると思う。
そういう仕事にはやはり惹かれるし、やりたいとも思う。

これから夏のインターンもあるし、その後には再びビジネススクールのキャンパスに戻るので、あと一年いろいろと手探りで自分の将来について考えてみたい。

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2014年4月5日土曜日

Japan Trek 2014

(写真は京都、広島、名古屋に続く第四の訪問地、箱根での大宴会での写真)


たったの一週間の出来事だから当たり前だが、終わってみればあっけなくも感じる。ウォートンにおける数あるイベントのうちの一つに過ぎないから当たり前か。
それでも自分にとってはこの二年間のハイライトになるであろう、経験。それがJapan Trekだった。

自分よりもっと時間を割いて準備に頑張ってくれた仲間たちがいるので、自分の苦労は彼らのそれと比べれば大したものではない。ただロジチームのリーダーとして、トレックの成功のために深くコミットして取り組んだのは間違いない。それでもその苦労を苦労とは全く思わなかったし、準備期間も含めてとてもやりがいを感じた。

まず最初に、ウォートンの同級生に自分の生まれ故郷を知ってもらい、日本を楽しんでもらえること自体が大きな快感だった。

第二に、自分が輝ける場がそこにはあった。
普段からウォートンのクラブ活動等にそれほど深く関与していない(できていない)自分にとっては、Japan Trekはまさに自分の得意分野のど真ん中。未知の領域に敢えて挑戦することは大事だし、むしろMBA留学は毎日がその繰り返しだと思うが、たまには自分の領域に周りを引き込んで勝負することも大切だと思う。 言うまでも無く、Japan Trekはそういう場だった。観光先やレストランで同級生の皆から必要とされると感じるのは、正直気持ちがいいものだ。

第三に、上記と関連しているが、ウォートンをより自分の居場所としてより強く感じられるようになった。150人という決して少なくない人たちのWharton experienceをenrichすることに少しは貢献できたかなという自負がそうさせていると思う。

第四に、気の合う友人と出会うことができた。もちろん、日本ではOrganizerとして、周りを楽しませること、旅行をスムーズに進行させることを優先して行動していたが、参加者と一週間行動を共にする中で多くの人たちとコミュニケーションをとることができた。

最後に、Japan TrekのOrganizer同士で一つの大きな仕事をやり切ったという経験を共有できるのが良かった。
フィリーに帰ってきたらまたそれぞれ別々の活動に打ち込むわけで、今は誰も感傷に浸っている感じもしないのだが、卒業後きっとまた日本に帰った時に、または世界のどこかで再会する時に、この経験について一緒に語り合えるネタがあるというのは、実は一生の財産だと密かに思う。

穏やかな春の陽気に包まれて

題名通り、穏やかな春の陽気に包まれて久しぶりにブログを更新中。

すがすがしい天気は、ウォートンのWelcome Weekendという合格者向けイベントで去年4月にフィリーに来た時のことを思い出させる。この一年間にとてつもなく沢山の新しい経験をしてきたのに、きっとその密度の濃さに頭がついてこないのだろう、あっという間の一年だったなとしみじみ思う。

自分はまだまだだと悔しく思うことが大半で、たまに成長や達成感を感じる日々。
そんな日々を振り返って、きっといとおしく思う日が後で来るのだろう。




2014年1月11日土曜日

2014年 春学期に向けて


GIPを通じ、2014年は最高のスタートダッシュを切ることができた。

また、超懸案事項だった秋学期の成績も、終わってみればそこそこのレベルに着地させることができ、もしかしたら退学させられるかもしれないという恐怖から完全に解き放たれた。(低次元で恥ずかしい話だが)

そして始まる新たな学期。
春学期は、秋学期に頭痛の種となっていたミクロ経済や統計といった退屈な授業が減り、より面白い授業が増えそうだ。特に今回はほぼ全ての授業では最も評価の高い教授の授業が取れたので、とても楽しみにしている。
春学期で履修することになる授業については、add/drop期間が終わって科目が確定したら別途まとめたいと思う。

さて、MBAの核になるのは勉強だと自分では信じているが、それ以外の要素も引き続き盛り沢山な学期となりそうだ。
以下ではそれぞれの見通しと、目標を書いて見たいと思う。

■就活(サマーインターン)
実はある日本の企業から魅力的なオファーを頂いた。ここでのインターンは比較的短く、4週間ほどになりそうだ。

これに加えて先月カバーレターを応募済みのI社で8週間程インターンができれば最高だ。ただ当然1社にベットするのはリスクが高いので、アジア、アフリカのPEファンドを中心に2月にかけて応募を増やす予定だ。

まずは質の高いカバーレターを書くことが目標だ。次に面接に備えて、会社のリサーチと自分がやってきたことの復習を入念に行いたい。また、当たり前だが、そもそも自分は将来どうなりたいのかをよく考え、それに対して応募した会社はフィットしているのかという点を面接を通じて精査したい。

■ジャパントレック
三月の春休みに一二年生150名を率いて日本を旅する。GIPは楽しかったが、それを上回る内容の旅行を同級生には提供したい。日本を楽しんでもらい、よりよく知ってもらい、日本のファンになってもらいたい。
参加者同士で仲良くなる機会を提供し、自分もみんなと仲良くなりたい。
そのためには、自分がリーダーであるとの自覚を持って、現場をはっきりとイメージできるくらいの事前準備を行って150人を迎え入れたい。

■ソーシャル
2月にウォートン最大のスキートリップがあり、比較的仲の良い友人を含めた10人超で同じロッジに泊まるので、GIPで得た教訓を生かしてハイテンションで楽しみ、周りを楽しませ、より仲良くなりたい。

また普段の生活の中では、ジムが通いを欠かさずおこない、常に最高のコンディションを保って同級生と交流したい。
普段から楽しいやつだ思ってもらえれば、あちらから声をかけてくれる機会が増えるということをGIPで再度学んだからだ。

2014年1月10日金曜日

Global Immergion Program in Middle East について(2)

ここでは各国における活動を備忘録として留めておく。
記憶が正しければ時系列になってるはず。

12/26-12/30 ヨルダン
大学時代の友人との再会➡︎中東で、途上国で、家族で生活することをリアルに感じた。

アンマン市内観光➡︎派手さは全く無いが治安の良さ、人の良さ、物価の安さが魅力。

死海で海水浴➡︎暖かいので冬に行くのは気分転換になりそう。でも一生に一度でいいかも。。

会社経営者、元政治家及びアメリカ大使との面会➡︎外国人から見てヨルダンにビジネスチャンスがあるのかどうかはよく分からなかったが、同国が置かれた特殊な状況について知識が深まった

ペトラ遺跡訪問➡︎壮観だったが、古代ローマ時代の歴史を知っていたらもっと楽しめたと思う。

イスラエルとの国境越え➡︎ヨルダン、トルコもそうだが、ここでも日本人はビザ無しでほぼ顔パス!インド人とトルコ人は2時間拘束されていた。


12/31-1/5 イスラエル
年越しパーティ➡︎ここはまるでヨーロッパ。そしてイスラエル人は綺麗な人が多い。現役日本代表サッカー選手とばったり出会う!

ベドウィン村訪問とラクダ体験➡︎超観光的だが、ラクダに乗るのは初めてだったのでいい経験だった。

ベンチャーキャピタル、及びアラブ系投資先企業の訪問➡︎ この国のVC業界は引き続き面白そうだ。アラブ系住民でありながらイスラエル人としてイスラエル企業を経営する経営者には思わず声援を送りたくなった。

ナザレの教会訪問➡︎きっとキリスト教徒には意味があるのだろう。。

テルアビブ市内観光➡︎テルアビブは地中海が美しく気候も良いが物価が高い。路地が狭い感じと、人々の経済格差が周辺国と比べて少なそうなところが日本に似ており好感を持った。

エルサレム訪問➡︎巡礼者が集まり荘厳な感じかと思ったが、かなり観光地化されていて少しがっかりだった。宗教を知っていればもっと楽しめるんだろう。

イスラエル交響楽団のコンサート➡︎聞きなれない曲だったが、技術がとても高く超楽しめた。フィリーでもオーケストラもっと行こうと思った。

食品メーカーの訪問➡︎ローテクな印象が強いが、テクノロジーを強調していたのが興味深い。チョコレート工場見学もした。


1/6-1/9  トルコ
イスタンブール市内観光➡︎壮大な歴史、文化と人口を擁しており、大都市、大観光地として懐の深さを痛感。買い物意欲も湧くに湧いた。絶対にまた戻ってくると思う。

ボスポラス海峡クルーズ➡︎遠めに見える寺院は綺麗だが、東京湾クルーズとそれほど変わらない感じ。そういえば夏至に近い夜に行ったサンクトペテルブルクのクルーズは最高だったなあ。

コングロマリット企業及びPEファンドの訪問➡︎同国の経済状況についての素晴らしいプレゼンを聞き感嘆するとともに、日本企業でこれだけのプレゼンができる人が果たしていくらいるだろうかと考えさせられた。

商業銀行及び国際金融機関の訪問➡︎ますますトルコ経済についての理解が深まった。

最後の晩餐➡︎最後は非トルコ的な地中海料理を湾岸の御洒落なレストランで食し、2週間の旅を締めくくるのに相応しい、最高のディナーとなった。

Global Immergion Program in Middle East について(1)

Global Immergion Program、通称”GIP”とはウォートンが授業の一環として単位付きで公式に提供する、グローバルプログラムの一つだ。
冬季の中東又はインドと夏期の南米又は中国というオプションがあり、それぞれの国・地域でカルチャーツアーと会社訪問を行う。
この年末年始、オレはGIPの中東プログラムに参加した。
当初は、学校側の力の入った宣伝に対しその内容に対して半信半疑だった。単なる集団旅行じゃないか、わざわざMBAまで行ってやることか?と。
しかし終わってみればこのGIPに申し込んだことはウォートン入学して以来最高の決断だったと言える。
それぐらい自分にとっては意味のある、素晴らしい旅だった。
終わってしまう旅のことをこれだけいとおしく思ってしまうのは、久しぶりだ。

旅を特別なものにした一つは、最高クラスの現地ビジネスマンや政治家との出会いだ。
現地のプロフェッショナルのプレゼンを聞き、質疑応答を繰り返すことで、現地の政治経済の理解がぐっと深まったような気がする。先般の秋学期では授業中あまり手を挙げて発言することは多くなかったが、このプログラム中はプレゼンターの話がとても刺激的であることもあり、先陣を切って積極的に質問をした。
親日的な中東そのものに縁を感じたこともあり、彼らとは今後また何かしらのビジネスを通じて現地で会うことがあるかもしれないという予感もある。その将来を夢想すると少しワクワクする。

そして何より特別なのは、この旅を通じて知り合った他の参加者との友情だ。
移動中のバスの中や食事中の会話、そして企業訪問時の発言などを通じて、自分の人となりを十分に周りに理解してもらうことができたし、また周りに参加者のこともよく知ることができた。
過去半年分のパーティに匹敵するかそれ以上に濃密な時間を30名を超える参加者とともに過ごすことができたことに、今大きな充実感を感じている。

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ちなみに今回参加者との仲良くなりやすかったのは、ドメスティックなアメリカ人が少なく、異文化に関心の強い移民系、マイノリティ系アメリカ人や留学生の割合が比較的多かったことが理由の一つとして挙げられるだろう。
よく日本の話にもなったので、 自分としては付加価値が出しやすかった。

また、たまたま仲の良い日本人同級生が2人参加していたので、適宜彼らとつるむことでうまく充電しつつ、、エネルギーが必要な英語を喋る時には絶好調な自分のみを前面に出すことができたことも良かった。
一人とはホテルの部屋がずっと同室だったので、寝る前にお互いに仕入れた他の参加者の情報を交換したり、その日の出来事の感想を言い合ったりしたことで、他の参加者と話す時にネタに困らなかったのも大きい。

ある意味日本人の同期の力を借りて自分らしくずっといられたのだと思うので、彼らには感謝したい。

今後は、誰とでも仲良くなれるという自分の本来の強みを、上記のような有利な環境が無くても発揮できるようになるのが課題だろう。
そのためにはやはり英語力強化、特にネイティブが話す内容をきちんと理解できるようになることが重要だろう。
また一方で、英語の不利の克服には長年かかるものと割り切り、持てる実力を出し切るために自分に有利な環境をうまく作り出すこともスキルのうちだと心得てそれに励むこともまた大切であると再認識した。